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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)1230号 判決

原告 滝森常次郎

原告 滝森ミネ

右両名訴訟代理人弁護士 大谷憲一

同 丹羽鉱治

被告 東京基督教青年会維持財団

右代表者理事 小林富次郎

右訴訟代理人弁護士 高野三次郎

同 津島純平

主文

被告は原告らに対し、各金二五万円およびこれに対する昭和三七年三月六日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。

原告らその余の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、これを四分しその三を原告らの、その余を被告の各負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分にかぎり原告らにおいて各金五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、被告が昭和三五年七月一一日から同月一五日までの間、東京都千代田区神田美土代町七番地東京基督教青年会会館内プールにおいて水泳未経験者のための水泳講習会を開催していたところ、滝森一郎が右水泳講習会に参加したことは当事者間に争いなく、≪証拠省略≫と本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、滝森一郎は昭和三五年七月一二日午後八時四〇分ごろから九時ごろまでの間において本件プール内で溺死したものであることを認めることができる。

二、そこで右一郎の死亡について被告に責任があるかどうかを原告ら主張の順序にもとずいて順次判断する。

(一)  まず原告らは、本件プールそのものに瑕疵があった旨主張する。本件プールが被告の所有であることは当事者間に争いなく、本件プールが土地の工作物に当ることはその性質上明らかであるところ、プールが本来水泳場として備えているべき設備性質を欠いているため、プール利用者がたえず危険にさらされ安全な状態で利用することができないような場合には右プールには瑕疵があるものというべきである。これを本件についてみると本件プールは縦二〇メートル、横六メートル、深さは縦の一端が一、五メートル、他端が二メートルであることは当事者間に争いなく、≪証拠省略≫をあわせると、右プールは両端から中央にゆくにしたがって漸次深くなり水深一、五メートルの一端から他端へ一三メートル寄ったところが最も深く二、七メートルとなっているがプール上縁から〇、二七メートル下の側壁内にプール全域にわたって排水溝が設置されているから、満水時でもその水深は排水溝より深くはならず、一端で一、二三メートル、他端で一、七三メートル、最深部で二、四メートルとなるが、通常の場合プールを満水にすることはなく、本件事故当時の水深も右満水時より約〇、〇五メートル浅くしてあったことを認めることができる。右事実によれば、本件プールはその両端附近を除く中央部分の水深が原告主張のように通常人の背丈ではとどかない状況にあるが、一般にプールの水深は常にプール全域にわたって通常人の背丈より浅いことを要するものではなく、そのプールを利用し得る人の水泳技術、プール使用の際の危険予防措置、救命設備の有無等に応じてその水深の適否も判断せらるべきものである。≪証拠省略≫をあわせると、本件プールは特別講習期間を除く年間を通じ、被告会員のうち小学校三年生以上で健康診断に合格し、かつ体育館使用料を納付している者のみにその使用を許可するものでいわゆる公衆に開放されたプールではないが、体育館所属会員となるための資格として右健康診断のみで水泳技術の検査がないため、水泳未熟者も会員となる可能性があること、右プール使用に際しては、満一八才未満の者は午後四時までとしその間はプールサイドに被告の選任した監視員(教師)一名をおいて適宜プールサイドから利用者の危険予防につとめ、満一八才以上の者は午後四時以降午後九時までとし、その間直接監視員の監視下にはおかないけれども、会員たるプール利用者のうち水泳熟練者をもって構成されている朗泳会のメンバーから当日プールを利用しているものを適宜リーダーとして監視員に代わらしめ、会員相互が自主的に危険防止に努める形をとらしめていること、本件プールには前記排水溝の外一端から〇、七五メートル、他端から二メートル中央寄りのプール両側にプールからプールサイドにあがるはしごが固定され、プールサイドには長さ四メートルの竹竿が一、二本と自動用タイヤのチューブが一箇およびビート版四、五枚がおかれ救命用具としての役割も兼ねていることを認めることができる。前認定によれば、本件プールは水泳未熟者もこれを利用しうるもので、未熟者にとっては水深の深い中央部分には危険があるが、プールの両端附近には通常人においても十分その背丈がとどく水深であるからこの部分を利用する限りにおいては一応安全であり、かつプール使用中はプールサイドの監視員又はこれに代わる水泳熟練者をリーダーとする会員が相互に危険防止に努めているのであるから、未熟者が右水深の浅い部分を超える等危険な状況にでたときにはただちに適切な処置が採られることを期待し得べきもので、このような状況のもとにあっては本件プールの中央部分の水深が通常人の背丈以上のものであっても、これのみをもって本件プールに瑕疵があるとはいい難いところである。そして本件プールが排水溝・はしご・救命用具等プールが本来備えるべき設備をも具備していたこと前認定のとおりであるから、本件事故当時右の諸設備そのものになんらかの故障、欠缺があった等特段の事情が認められない本件においては、本件プールに瑕疵あるものとはいい難い。もっとも証人渡辺信義の証言および東京都条例第五五号(プール取締条例)第三条によれば、被告は本件事故当時右条例第三条によりプール経営者がプールを経営するにつき必要とされている保健所長の許可を得ず本件プールを使用していたことが認められるけれども、右はもともと被告が本件プール経営について保健所長から得ていた許可が昭和三五年六月三〇日にその期間が終了したにもかかわらずその更新手続を怠ったことに由来するもので、本件プールに右条例に定めた設置基準違背があったために許可を得られなかったものでなく、むしろ右手続さえしておけば容易に許可を得られたことが前掲渡辺信義の供述により明らかであるから、右無許可経営をもって本件プールに瑕疵ありとすることはできないものである。他に本件プールの瑕疵を認めるに足りる的確な証拠はない。しからば本件プールに瑕疵があることを前提とする原告らの主張は理由がない。

(二)  次に原告らは、本件事故当時、被告の理事であった小林富次郎に、本件講習に際し管理者として過失があったと主張する。小林富次郎が本件事故当時被告の理事であったこと、被告が本件プールにおいて昭和三五年七月一一日から同月一五日までの間、水泳未経験者のための講習会を開催したことは当事者間に争いがない。

しかして、右のように水泳未経験者の講習を開催するに際しては、講習に利用する場所の水深が、少くとも受講者の背丈が十分とどく範囲内であることおよびこの種講習に豊かな知識を有し水泳の熟練者でもある指導監督者を常にプールサイド等に配置するとともに応急の救護設備をととのえる等、受講者の安全を期するための人的、物的設備をととのえる必要があることは、前記プール取締条例の細則たる東京都規則第一一〇号第四条第九号の規定をまつまでもなく、事の性質上明らかである。しからば、小林富次郎は、被告の理事として本件講習会の決定をするに際しては、右諸点を十分考慮すべき注意義務があるから、以下この点に過失があったかどうかを判断する。

本件プールの構造、水深は前に認定したとおりである。それによると本件プールの中央部分は通常人の背丈のおよばない水深であるから、水泳未経験者の講習の場所としては適当でないけれども、両端の部分およびその附近は一八才以上の者ならば通常十分背が立ち、未経験者といえども安全に講習を受け得る状態にあるのであるから、要は、本件講習会の決定に際して、右安全な区域のみを利用できる態勢が採られていたかどうかに帰すべく、≪証拠省略≫をあわせると、小林理事は前記決定に際して本件講習の指導監督者として、日本体育専門学校出身で、被告体育館の主任であり、かつ従前から本件プールの責任者として過去数年水泳指導にも経験が深い安村正和をこれにあて、同体育館の副主任で日本赤十字社の水難救助員の資格をもち従前からプールについても安村の補助者たる地位にあった鎌田雄をその補助者として選任するとともに被告の会員中水泳熟練者の親睦団体である朗泳会のメンバーのうち五名ないし一〇名を本件講習の指導員として委嘱したうえで、満一八才以上の男子を対象とする本件講習会を開催する決定をしたことが認められるところ、このように事理分別のある受講者に対して、指導経験の深い専門教師のもとに同様経験者の補助者一名を配し、さらに水泳の熟練者をも指導員として委嘱したときは、これらの責任者がその任を尽す限り受講者が右安全な区域から外部に出ないよう十分監督し、もし超えたときにも直ちにこれを救助して危害を未然に防止し得ることも十分期待しうべきことであって、結局被告の理事者としては本件プールを利用するについて十分な指導監護態勢をととのえたものといわなければならない。そして本件プールには一応の救護設備が備えてあっては、本件講習会当時本件プールの設備には故障箇所がなかったことも前に認定したところである。しからば被告理事がした本件講習会の開催決定にはなんらの過失がないといわなければならない。もっとも右決定当時本件プール経営について所轄保健所長から所定の許可を得ていなかったことは前認定のとおりであるけれども右無許可経営が実質的な瑕疵を理由とするものでなく、たんに手続的な瑕疵であることは前に認定したところであるからこれをもって、直ちに小林理事に過失ありとすることはできないのである。

そして、本件講習会について、理事である小林富次郎が直接担当した職務行為は、右開催の決定にとどまり、爾後の受講者の監督の直接の担当者は前記安村正和、鎌田雄らであるから、結局理事たる小林富次郎自身には本件事故につき直接の過失はないというべきである。

しからば、小林理事に過失があることを前提とする原告らの本訴請求も理由がない。

(三)  次に原告らは、本件事故当時本件講習会の指導監督者であり、本件プールの監視員(教師)であった安村正和らにその監視につき過失があったと主張する。≪証拠省略≫原告ミネ本人尋問の結果、前認定の事実及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、次のように認めることができる。すなわち本件講習会は、満一八才以上の水泳未経験者約三〇名を受講者として、昭和三五年七月一一日から同月一五日までの間、毎日午後七時三〇分から同八時三〇分までを講習時間として開催され(期間については当事者間に争いがない)、右指導監督者として被告の体育主任であり、プール監視員であった安村正和とその補助者鎌田雄が選任されたが、安村正和はたまたま本件講習開催中被告の他の業務のため山中湖畔に出張し後事一切を鎌田に託していたので、鎌田は当日安村に代って本件プールの監視員たる地位に立つとともに本件講習会を直接指導監督し被告から委嘱された指導員五名ないし一〇名がこれを補佐したものである。本件講習会の受講者は、まず受講に先だって健康診断をうけてこれに合格した者だけであるが、当初に鎌田雄から講習時間外にプールを使用することは危険であるから利用しないようにとの注意をうけ、講習日程にしたがって講習を受けたところ、受講者が講習を受けるには、まず体育館受付係に本件講習会員証を提出してロッカーの鍵を受取り、更衣室で衣服を脱いでロッカーに収納したのちに再び右鍵を受付係に返還する手続を経て、更衣室からプールサイド入口にあるシャワー室を経てプールサイドに集合し、そこで鎌田雄から当日の訓練予定の説明をうけてプログラムにしたがって講習をうけ、午後八時半になると鎌田雄の合図で再びプールサイドにあがって同人から本日の講習が終了したこと及び、明日の練習方法を告げられたのち、再びシャワー室を利用して更衣室に帰り、前と逆の順序でロッカーの鍵を受取って着衣し、鍵を返還して会員証の返還をうけて退出する手続を経るものであるが、右講習中は常に受講者二人が一組となって行動する、いわゆるバデイ・システムがとられ、プール使用の前後に受付係から鍵を受けとるにも必ず二人の会員がそろわなければ受けとれないし、水泳練習中及びその前後も一組となった受講者がたえず互に相手方の存在を確認することとして事故の防止に努めていた。一方会員証を保管する受付係は受領した会員証をロッカーの鍵と一組にしてロッカー鍵箱の当該鍵番号が記載されてある箇所に置いて、鍵と会員証の所在を明確にしていた。鎌田雄は、プールサイドに受講者が集合したのち指導員とともに直接受講者の水泳練習をプールサイドにおいて指導監督し、講習が終って受講者が全員プールからあがりバデイによる確認をプールサイドで済ませた後は別段受講者の行動については注意していなかった。講習期間中といえども講習時間外は本件プールは通常どうり、被告体育館会員に開放していたので、午後八時三〇分以後同九時までは本件プールは遊泳可能の状態におかれ、午後九時五分前に終了のブザーが鳴り、午後九時になると受付係がプール灯を消すことになっていたので、講習期間中の午後八時三〇分以後に本件プールを使用する一般会員は、講習期間中からシャワー室に待機し、講習終了した受講者がシャワー室に入ると同時にこれといれかわるようにして本件プールを利用していた。一郎は本件事故当日も前示手続にしたがって会員証とロッカーの鍵を受付係に預けて講習時間中他の受講者とともに水泳練習をうけ、講習時間が終了したのち、他の受講者とともにいったんプールからあがって鎌田雄の終了のあいさつをきいたが、その後さきの指示に反して無断で一般会員とともに再びプールに入り少くとも午後八時四〇分ないし五〇分ごろとおぼしきころには本件プールの一端附近で水泳練習をしていたのを泳いでいた一般会員であるとともに本件講習の指導員でもある池田哲が見ており、これと短い会話を交している。一方鎌田雄は講習時間が終了したのちのあいさつを終えると、受講者は全員プールから引き揚げたものと考えてプールサイドからの確認ならびに受付係との連絡もとらず午後八時五〇分ごろ自ら体育館を退去し、爾後の一般会員によるプールの使用については平常どおり会員リーダーにまかせて自ら監視しなかった。又たまたま一郎を一般会員中に発見した右池田哲も一郎に対し強く注意することなく自分は間もなくプールから引きあげ、講習終了後の一般会員の遊泳時間は監視員に代わり自治的運営をまかされた会員各自はいずれも自らの遊泳に専心していてプール全体の監視の衝に当る者はなかった。他方受付係は、一郎の会員証がまだ残っているにもかかわらず、これを看過し午後九時になると通常どおり本件プールの消灯をし、右消灯前にはプールについて異常の有無についてなんらの点検をしていない。同夜から翌朝にかけて原告ら方では一郎が帰宅しないのを心配して度々原告ミネから被告会館に照会し、はじめて翌七月一三日午前一一時ごろにいたり一郎の溺死体が本件プール内で発見されたという次第である。以上のように認めることができ、右認定を左右する証拠はない。

以上の事実によって考えると、滝森一郎は、本件講習時間が終了したのちあえて事前の指示に反して無断で再びプールに入り午後九時ごろまでの間に本件事故を生じたものというべきであるが、これをもって同人に過失ありというべきかどうかはしばらく別とするもたんに自ら招いたものとのみ断じ去ることのできないことはいうまでもないところである。本来、水泳未経験者を対象とする水泳講習をするにあたってその指導監督の任にあるものは、講習時間中に十分危害防止の措置を講ずべき義務があることはもちろんのことであるがその定められた時間外においても、受講者はプールの使用が可能な限り指導者の指示に背いても独りプールに入ることは往々ありがちなことであるから、任にあるものとしては講習時間外の水泳を禁ずるため適切な措置を講じ、もし禁を犯かすものを発見したときは、直ちにこれをやめさせる等適宜の処置を採り得べき態勢をとるべきものであって、これ水泳未経験者の講習実施について、指導監督の職にある者が、受講者の安全を保ち事故発生を予防するため、当然要求される義務である。しかのみならず講習終了後といえどもプールが受講者以外の者に開放され、利用されている限り講習責任者としてではなく、常時プールに配置される立て前の水泳教師ないし監視員としては、その任務は解除されたものとはいえないのであり、プール利用時間中はたえずこれに監視の眼を怠らず、仮りにも利用者に異変を発見したときは直ちに臨機の措置を講ずべきことは自明である。これを本件についてみると、本件プールは、その水深の状況からして未経験者がこれを利用するにはたえず強力な統制の下におかねばならない底のもので、かつ講習時間後も一般会員に開放され、現に使用されていたのであるから、指導監督の任にある鎌田やこれを補佐し又はこれに代わる者らにおいては講習時間終了に際して、受講者が全員プールから更衣室に退出したのみで安心することなくこれらの者が一般会員に混入して再びプールに戻ることのないよう留意し、受講者全員が着衣して本件体育館を退出したかどうかまで確認すべき義務あるものというべきである。殊に本件においては、受付係の保管する講習会会員証の存否を確かめることにより容易に受講者の存否は判明するものであり、かつ講習指導員の多くは講習終了後も一般会員として本件プールを使用していたのであるから、これと連絡をとることによっても又、受講者が残留しているかどうかを容易に知り得べきでもあった。しかるに本件当面の責任者である鎌田雄は、プールサイドでの確認を済ませたのちは、前記の諸点に特に配慮せず、会員たる指導員、受付係と連絡する等の措置も採らず退出しているのであり、これを補助する受付係も会員証の存否により早期に一郎の残留を発見することを怠っている。さらに一般会員の遊泳時間中といえどもプールに本来不可欠の監視員の任務は会員リーダーによる自治によって代行されている立てまえであるのに、これらの者もまたプールの監視を怠り、よってもって滝森一郎に生じた異変について発見すべかりし最後の機会を失ったものといわなければならない。もしこれらの責任者、補助者、代行者らがその任務を尽していたならば本件事故を防止しもしくは救済し得たものというべきことはおのずから明らかであるから、ひっきょうこの点につき当の責任者鎌田やその補助者、代行者らに過失があるというべきであり、同時に一郎の溺死は右鎌田らの過失と因果関係なしとしないのである。しかして本件プールの経営が被告の事業の一部であることは当事者間に争いがなく鎌田雄や受付係が被告の被用者であり、その余の会員リーダーらも右プール経営について被告が自治の形で責任を負わしめることによって使用している者というに妨げなく右過失が被告の事業の執行につき生じたものであることは前認定のとおりであるから、被告は使用者として原告のこうむった後記四記載の損害を支払う責任がある。

三、よって被告の抗弁について順次判断する。

(一)  まず被告は、鎌田雄の選任監督につき、相当の注意をした旨主張する。前認定によると、被告は鎌田雄を本件講習の指導監督者とするに際して、同人が日本赤十字社の水難救助員の資格を有し、被告体育館の副主任として過去の水泳未経験者の講習に安村正和の補助をし大過なく務めていたことを考慮したうえ、選任したものであるから、その選任については相当の注意をしたというべきであるが、本件講習中、被告が同人の職務執行について適切な監督をしたとの事実は、本件全証拠によるも、認めることができない。鎌田の補助、代行の任にある者らについてはなんらその選任監督について過失なきゆえんの事績のうかがうべきものがない。

したがって、被告の右抗弁は理由がない。

(二)  次に被告は、原告らが昭和三五年七月一五日に被告に対しその損害賠償債権を放棄した旨主張する。≪証拠省略≫および原告滝森ミネ尋問の結果をあわせると、昭和三五年七月一五日に、被告の主事である木本茂三郎が、被告の代理人として原告らの自宅に赴き、原告らに対して、滝森一郎の死に対して弔意をのべるとともに香典名義で金二〇万円を交付し、原告らはこれを受領したこと(木本茂三郎が右日時に原告らに対し、金二〇万円を交付し、原告らがこれを受領したことは当事者間に争いがない)を認めることができるが右事実をもってしてはいまだ原告らが金二〇万円を超える損害賠償額についてこれを放棄したというを得ないのであって放棄ありというには、更に原告らがその旨の意思表示を明確にしたことを必要とすべきところ、本件全証拠によるもこれを認めることができない。むしろ前掲各証拠によると、原告らと木村茂三郎の間には金銭的取扱いについての交渉はなんらなされておらず、たんに木本茂三郎が、原告らが金二〇万円を異議なく受領したことをもって被告の責任は終ったものと独り合点していたことがうかがえるところである。

したがって、被告の右抗弁も理由がない。

(三)  さらに被告は本件事故につき、一郎にも過失があった旨主張する。一郎が本件講習に先だって指導監督者鎌田雄から講習時間外の本件プールの使用は禁止する旨注意をうけ、しかも自ら水泳未経験者で十分泳げないにもかかわらず、無断で講習時間終了後、再び本件プールを一般会員とともに使用したことは、前に認定したところであり、滝森一郎が、右注意事項を遵守して、講習時間外の本件プール使用を避けていれば、そもそも本件事故の発生をみるにいたらなかったことも明らかであるから、本件事故について一郎にも過失があるといわなければならない。しかして一郎の右過失は、被告の損害賠償額を定めるについて考慮すべきものである。

四、原告滝森常次郎が一郎の父、同滝森ミネが一郎の母であることは当事者間に争いがなく、かつ原告ら以外に滝森一郎の相続人がないことは、成立に争いのない甲第一号証により明らかである。

そこで本件事故により、原告らのこうむった損害額を検討する。

(一)  財産上の損害

≪証拠省略≫および原告滝森ミネ本人尋問の結果と厚生省統計調査部公表の第一〇回生命表をあわせると、一郎は本件事故による死亡当時、満二一才(昭和一四年六月一六日生)の健康な男子で、工学院大学機械工業科に同大学二年生として在学し、その余命はなお四七年を下らないことが認められ、同人の健康状態およびその経歴等から同人が昭和三八年四月に右大学を卒業後直ちに技術系統の職に就き、少くとも満六〇才に達するまでの三六年間は労働可能であったと推断するのが相当である。ところで≪証拠省略≫によると、昭和三五年度における男子技術労働者の一ヶ月平均収入は金三万九七二五円一ヶ年合計金四七万六七〇〇円であることが認められるので、一郎は本件事故がなかったならば、昭和三八年四月以降三六年間にわたり右と同額の収入を期待し得たものというべく、したがって同人が本件事故により失った得べかりし利益の現在額は、右三六年間の得べかりし収入から、原告らの自認する同人の大学卒業までの経費一ヶ月金一万円合計金三三万円および右収入を得るための生活費一ヶ月金一万五八九〇円右三六年間合計金六八六万四四八〇円を控除し、さらにホフマン式計算法により、年五分の中間利息を控除した金五三一万三七五〇円(円以下四捨五入)となる。

ところで一郎には本件事故について過失があることは前認定のとおりであるから、右過失をしんしゃくすれば、結局、一郎が本件事故によりこうむった損害は、金五〇万円と認めるのが相当である。したがって原告らは各自の相続分にしたがって右金五〇万円の二分の一である各金二五万円ずつ相続したことになる。

(二)  精神上の損害

前掲甲第一、第二号証と原告滝森ミネ本人尋問の結果をあわせると、一郎は東京工業高等学校卒業後、工学院大学機械工学科に入学し、本右事故当時は右大学の二年生として、建築業を営む父滝森常次郎、母滝森ミネがもっともその将来に期待をしていた長男であること、原告らは右一郎のほか、長女とし子(二〇才)、次女みよ子(一九才)、三女とも子(一八才)、次男健夫(一六才)、三男常夫(一四才)とともに平穏な家庭生活を楽しんでいたところ、本件事故により滝森一郎を失い悲歎にくれていることを認めることができる。右の事実と本件事故の原因、態容および前記滝森一郎の過失等諸般の事情をしんしゃくすれば、一郎の急死により原告らのこうむった精神的苦痛は、各金一〇万をもって慰藉するのが相当である。

(三)  しかして原告らが被告から昭和三五年七月一五日、香典名義で金二〇万円を受領していることは、その自認するところで、右金員は名義は香典でもその実質本件事故による損害賠償たるものというべきであるから、これを原告らの右財産上の損害からそれぞれ金一〇万円ずつ控除する。

以上に認定したところによれば原告らの本訴請求のうち、財産上の損害は金一五万円の限度において、精神上の損害は金一〇万円の限度において、それぞれ理由があるが、右限度を超える部分は理由がない。

五、しからば被告は原告らに対し、各金二五万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和三七年三月六日から右支払ずみまで年五分の遅延損害金を支払う義務がある。よって原告らの本訴請求を右の限度において正当として認容すべく、右限度を超える部分は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅沼武 裁判官 荒木恒平 裁判官鈴木醇一は、転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 浅沼武)

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